やまた幼稚園

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2018/01/10

心震える一瞬を読み取る

2018年1月の園だよりをお伝えします。

2018年の幕開け

2018年の幕開けです。皆さまはどのようなお正月を過ごされましたか。私は定番のかるた、百人一首に明け暮れた年末年始でした。この中のいくつかの和歌は、小中学校の国語の授業で習っているので、記憶の彼方にうっすらと浮かんでくる歌もあることでしょう。学校のかるた大会のために百首を暗記中の娘に付き合って、久しぶりに戸棚の奥からかるたの箱を引っ張り出してきました。最近は朗詠のCD音声付きというのがあり、一人でも遊べるので大変便利になりました。小さいお子さんでも坊主めくりなら十分楽しむことができますので、是非皆さまも古来の遊びに親しんでみてはいかがでしょうか。

長い時を経ても通じるもの

私の趣味の読書はこの数年日本の古典文学に傾倒しており、とりわけ百人一首に代表される短歌の魅力に取り憑かれています。なぜ好きかというと、歌を作ったのは千年前の人物であっても、彼らが感じた思いというのは、今、私が感じていることとなんら変わらないと思うからであり、歌の世界を旅するとき、私は千年の時を超えて、作者と同じものを見、同じ音を聴き、同じ物事を感じており、時空を超えて作者と向き合っているというその感覚が、言葉にし難い喜びを私にもたらしてくれるからなのだろうと思います。この感覚はおそらく、人々が歌謡曲を聴いてその歌詞が良いなぁと思うのと同じなのではないかと推察します。

短歌のもう一つの魅力は、作者がその人なりの主観で感じたことを、相手に伝わるような客観性を維持しながら、三十一文字の制約の中で詠い上げるところにある気がします。客観性を持った視点は、今はやりの言葉でいうと「メタ認知」と言われるものですが、何かを感じている自分をメタ認知しながら詠むという、歌の作り方自体の面白さがあり、そしてその時の状況や心情をあれこれ想像しながら読むという、読み手に委ねられた自由度の高さに、また別の面白みがあるのではないかと思っています。自分も歌を作れるようになりたいとずっと挑戦し続けて、いろいろな歌集や短歌論を読んではみるものの、現実はなかなか厳しいと言わざるを得ません。昨年は、作りかけの短歌のあまりのマズさに、全てをゴミ箱に捨ててしまった始末です。

対象と出会い、心が震えた一瞬を読み取る

わずかな収穫は、最近読んだ短歌論の中で、気になる部分を見つけたことです。それは、対象を見つめる目、なんでもないことの中に自分の感情が揺れ動く瞬間を見つけ出す目、そういうものを持ちなさい、という趣旨の文章でしたが、小さなことを、何でもないものとしてただやり過ごしてしまうのではなく、そこに思いを寄せて心の揺らぎを感じなさい、ということではないかと受け取りました。これは、子育てや保育に通じる姿勢であると私は思います。

子どものちょっとした仕草、ふとした表情にも、私たちは小さな成長やその子なりに掴んだ何かを感じられるはずなのです。子どもが対象と出会い、心が震えた一瞬を読み取ることが、子どもと同じ次元で物事を見ることになり、その成長を捉えることに繋がると私は信じていますし、ポートフォリオなどを通して保護者の皆さまと共有していきたいポイントなのです。

教育者の知人が俳句を好んで熱心に作るのは、今述べたようなことを句に詠み上げるところに、創作の無限の楽しみがあるからではないかと想像しています。そして、この視点を持つことは、人生を豊かに過ごすということにも通じると感じます。

私たちの日常は、大きな出来事やハッピーなイベントが連続して起こる訳ではなく、むしろ何でもない日々が続く中の、小さな幸せの積み重ねによってできています。その幸せをキャッチする感度を高めることが、生きる喜びを増すことになると思うのです。

年の初めにあたり私は、子どもたちの小さな成長、外からは掴むことのできない心の動きなど、形として捉えることのできないものごとに目を凝らしていきたいとの願いを強くし、自らを奮い立たせるのです。

<編集後記>百人一首、「歌会始の義」から

家の本棚を漁っていたら、大判の百人一首カラー刷り解説本のようなものが出てきました。確かに以前から家にあったもので、目を通したこともありましたが、横尾忠則のド派手なイラストと和歌の世界のミスマッチに違和感を覚えただけで、かなり読み飛ばしていたなぁ、と。よく見ると、「十日で覚えるコツ」というコラムもあり、もっと早く気づいていればと後悔すること頻りです。もはや忘却力が記憶力を上回り、昨日覚えたはずなのに今日には忘れている、という始末なのですから。かつては意味がわからない歌も数多くあり、音の響きの面白さだけで三十一文字を覚えていたものですが、この年齢になると色々身にしみて理解できることも多くなるものです。

古の人々が涙を流しながら詠い上げた季節の移ろいや人生の儚さというものは、齢を重ねるにつれて自分の実感として胸に迫ってくるものがあります。今はまだ意味不明の横尾忠則の挿絵も、更にあと10年位経てばその良さがわかってくるかもしれません。

さて、年始には宮中において歌会始という行事があります。私は毎年、選者の、一般公募で選ばれた方の、そして皇族方の和歌を楽しみにしており、とりわけ好きなのは、美智子皇后のお詠みになるものです。幼きもの、弱きものへの慈愛に満ちた歌が多く、一番の共感を覚えます。いつの折のものかわかりませんが、「ぶらんこ」という題で次のような御歌があります。

おしなべて春とはなりしこの国に
あまた揺れゐむ子らのぶらんこ

何もかも春となったこの国には、どんなにかたくさんのぶらんこが揺れて子どもたちが遊んでいることだろう、という意味です。子どもたちの健やかな、そして幸せな成長を祈る数々の御歌は、子を育てている私たちの心に響き、染み入ってくるようではないでしょうか。

園長 栗原弥生

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