やまた幼稚園

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2017/12/02

大切なのは、語る中身を持つこと

2017年12月の園だよりをお伝えします。

若き日の旅の思い出

先日読んだ本に着想を得て、若き日の旅の思い出を書いてみようと思う。昨年のやまた通信でもチラリと触れたことのあるこの旅、機会があればまた続きを書きたいと思いつつ、なかなか自分の中で思いが熟すことがなく、ずっとそのままになっていたものである。読んだのは沢木耕太郎『旅する力–深夜特急ノート–』。たまたま実家の元自室の本棚(現在は末の妹が使っている)を物色していたところ、懐かしい『深夜特急』シリーズが目に止まって、番外編とも言える本書を借りてきたのだった。著者に影響され、今月の通信の文体が少し沢木調になっているのを笑って見過ごしていただきたい。

人間にとって、本当に大切なこととは

『深夜特急』という紀行小説のことが、今の若い世代の保護者の方々にどれほど知られているかわからないが、これは1980年から90年代、私が高校大学を過ごした時代のバックパッカーのバイブルとも言われているものだ。私がインド・ネパールにバックパッカーとして長期滞在していた時、多くの日本人の若者が深夜特急の話をし、小説の主人公と同じような旅に憧れて放浪しているのに出会った。私自身は直接この本に影響されて旅に出たわけではなかったが、帰国後にその世界に触れ、旅への熱い気持ちが再び湧き上がってきたことを覚えている。

私の旅の話に戻ろう。

それは香港がイギリスから中国に返還される日を目前に控え、最後の自由な香港を謳歌しようと、街全体が異様な熱気に包まれていたところから始まった。私は香港人の友達が結婚式を挙げるというので、たまたまあの時あの場に居あわせたのだが、人々の間には、このままの自由な生活がずっと続くだろうという楽観的な見方と、いずれ中国共産党の締め付けが厳しくなっていくのだろうという諦観の二つが入り混じったような、不思議な空気が流れていた。

明るさの中に暗いものが見え隠れする人々の様子に、かつての香港とは違う気配を感じ、私はなんだか泣きたくなるような気持ちがしたのだった。今から20年前の1997年7月1日、香港が中国に返還されるというその日は、前日からずっと雨が降っていた。友達は「香港が泣いている」と言った。それが香港に暮らす人々の素直な気持ちなのだろうと思った。友達の周辺にもイギリスに帰国する人や海外に移住する人が何人かおり、英国統治から中国に再譲渡されることによる生活への不安が人々の上を覆っていたことは疑いようがない。

日付が変わる真夜中に行われた式典の様子が空港のモニターで流されるのを横目で見ながら、私はデリー行きの飛行機に乗った。当時使われていた空港は、世界一着陸が難しいと言われていた啓徳空港。今、画像で確認すると、物凄いところを飛んでいたものだと驚く他ないが、ひしめくビルの中を離着陸する時の景色の美しさは例えようもないものであった。その時の私の所持品は、貴重品の入ったショルダーバッグと数枚の着替えを入れたビニール袋。なぜビニール袋で旅に出たのか今となっては不明だが、どうせ盗まれてしまうのだろうと諦めていたのと、必要なものは現地で調達すれば良いというある意味の開き直りがあったかもしれない。

この旅に出たことによって、大切なのは英語を話せるということではなくて、語るべき何ものかを自分のうちに持つことである、と私は痛いほど思い知らされたのであった。(続く。か?)

<編集後記>ネパールの首都カトマンズにて

当時、ネパールの首都カトマンズは何故か日本人とドイツ人とイスラエル人の若者で溢れかえっていた。兵役明け休暇を楽しむイスラエル人の女の子と、兵役を拒否する代替条件として、社会福祉活動に一定期間従事しているドイツ人と、ノホホンとしている日本人。生きていくことに対する真剣さが違うなぁと恥ずかしかった。恥ずかしかったから、現地の学校や福祉施設でボランティア活動をしているドイツ人たちに混じって結構真面目に働いたりもした。

もっと日本のことを知ろう、歴史や文化を語れるようになろうと思ったのもこの時である。(白状すると、あまり成長することもなく今に至っているのが現実なのだが。)仕事が終わると街に出て、何をするともなく歩き回る。そこで目にするのは、赤ん坊を背負い、家の屋根やがれきの山など、日本では考えられないようなところで遊ぶ幼い子どもたちの姿である。ビックリした私は尋ねた。「日本では、あのような危険な場所で遊ぶ子どもなど見たことがない。彼らは落っこちたり怪我をしたりすることはないのか」と。するとドイツ人はこう言った。「それは、あなたが落ちると思っているから落ちるのであって、落ちないと思っていたら落ちないのだ」。

今になって思い返してみると禅問答のような返答だったが、私は妙に納得してしまい、帰国して自信満々で母に言った。「あのさ、子どもは落ちると思えば落ちるんだよね」。母は、(この娘はまた変なことを言い出した)と呆れたような顔をして私を見つめ、「そんな、超能力でもあるまいし。落ちたり怪我をしたりするのは、経験が足りないからです。落ちることを予想してそのままにさせる人はいません」と言った。

とにかくその時の私は、無鉄砲さ以外は徹底的に、真剣さも洞察力も知識も知恵も、何も持ち合わせていなかったのだった。



園長 栗原弥生

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